まさに荒行!江戸時代の旅行では1日40㎞も歩く旅人もいた。江戸時代の旅行事情【1】

足場札利

庶民は旅行禁止の江戸時代、旅に出るための抜け道とは

学校では修学旅行、会社では社員旅行、家庭では家族旅行、一匹狼のアウトローには気ままな一人旅と、現代の日本では、観光や旅行は庶民にとって身近な娯楽として親しまれています。

では、江戸時代の旅行事情はどうだったのでしょうか?

江戸時代では、庶民が旅をすることは各藩の法律によって禁止されていたのですが、これには抜け道がありました。湯治は病や怪我を癒すための治療行為として認められ、伊勢神宮は天皇家が祀る、国を代表する神社であり、国民なら誰しも参拝する権利があると考えられていました。これらの名目で届けを出せば、お役所は認めざるを得なかったため、徹底して機能していなかった法律だと言えます。

全国規模で大ブームとなったお蔭参り

江戸時代後期、1800年代に入ると、庶民にとっての旅行は身近なものになりました。きっかけの一つは、お蔭参りと呼ばれる伊勢参拝が全国規模でブームとなった集団参拝。貧しい百姓でもお陰参りに繰り出す群衆の流れに乗ってしまえば、着の身着のまま無一文でも伊勢にまで辿り着く事が出来ました。女性の一人旅も珍しくなく、子供や妊婦も混じっていたというのは驚きです。

慶安3年に始まったお蔭参りは、ほぼ60年周期でご利益が高まるありがたい「お蔭年」に盛んになりました。「不治の病が治った」「店が繁盛した」など伊勢神宮に参拝して幸福になったという話も広まっていたため、観光目的だけでは無く噂を本気で信じて伊勢を目指す人も多かったようです。
※実際のブームとなる時期は60年周期では無くその間隔は約10年、20年、50年と規則性はありませんでした。

このイベントが発生すると沿道の商家などは、参拝者に無料で配る食べ物や草鞋を用意して支援したため、お金の無い参拝者はこれに与りました。このような気前の良い大盤振る舞いを見ると、参詣者だけではなく周囲の人々も巻き込んだお祭りのような感覚だったのだと思われます。

伊勢への参拝者の数は多い時で年間総人口の1割以上となり、1日だけで十五万人弱の人が伊勢に訪れたという記録も残っています。

3ページ目 江戸時代の旅人は1日約30~40㎞も歩いた!?

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