同じ兄弟でもこんなに違った個性が!平安時代の兄弟歌人
同じ親から生まれた兄弟なのに、性格や考え方、個性などが「別人!?」と思われるほど違っていることは、昔も今もよくあります。例えば、かつて「若貴フィーバー」で人気をさらった大相撲の若貴兄弟の性格は、正反対と言って良いほど違っていたということが、兄である花田虎上氏や兄弟の母の口から語られています。相撲の取り口も、力士人生も、全く違っていましたよね。
さて、こんなに個性が違う!という兄弟は、平安時代の有名歌人にも存在しました。今回は『小倉百人一首』に歌を取り上げられている有名な兄弟歌人に注目してみましょう。
迷い猫が帰ってくるおまじないで知られる中納言・在原行平
在原行平は、弘仁9(818)年に平城天皇の皇子・阿保親王の第2子として誕生し、天長3(826)年に「在原」という姓を賜って臣籍降下しました。彼は政治手腕のある人で順調に出世を果たし、元慶6(882)年に正三位・中納言に昇進したため、百人一首では「中納言行平」と呼ばれています。
百人一首に取り上げられている
立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今かへりこむ
(今こうしてあなたと別れて行っても、因幡(いなば)の国の稲羽山の峰に生えている松(まつ)の木のようにあなたが私を待っていると聞いたなら、すぐに帰ってきましょう)
という歌は、そんな行平が斉衡2(855)年に従四位下・因幡守に任じられて下向する際に、京の人々に向かって詠んだ別れを惜しむ歌です。実はこの歌は、迷い猫が帰ってくるおまじないとしても知られています。
自身もたくさんの猫を飼育した経験のある漫画家のセツコ・山田氏による『一丁目のトラ吉(リイド社)』第6巻によると、猫の出入り口に猫の食器を伏せ、この歌を書いた紙を貼っておくとのこと。
行平が猫好きだったのかどうかは、残念ながら分かりません。でも飼い主が帰りを待っていると聞いたなら、猫にはぜひともこの歌のようにすぐに帰ってきて欲しいものですね。
2ページ目 『伊勢物語』の主役!?色好みの貴公子の先駆者的存在だった在原業平