初代横綱は番付表に載らなかった
大相撲の最高位である横綱。初めての横綱は江戸時代の明石志賀之助とされていますが、初めて番付に載った横綱は、第16代横綱の西ノ海嘉郎(1855~1908)。初めて名前を聞く人も多いと思います。
そもそも横綱とは、土俵入りでつける注連縄そのものを指す言葉でしたが、いつしか綱を締める権利を持つ大関の称号になりましたが、番付上はあくまで「大関」でした。
なぜ横綱が番付に載るようになったのかを紐解くには、少し遠回りしなければなりません。
江戸相撲と大坂相撲
江戸初期、相撲興行において暴力沙汰が絶えないことから、幕府は寺社による勧進目的の興行しか赦していませんでした。しかし、興行が大坂で元禄15年(1702)年に興行目的の相撲が解禁になると、大坂と江戸で平行して行われるようになります。大坂は大坂で大関がいましたし、江戸は江戸で大関がいた、ということになります。また、他の地方でも相撲興行は行われており、統一されていない体制は日本相撲協会が発足する1921年まで続きました。興行が全国で統一されたのは割と近年のことなのです。