悲しすぎる…ハリスを世話した幕末の下田芸者「唐人お吉」の波乱万丈な人生:後編

小山 桜子

前編の記事「ハリスを世話した幕末の下田芸者「唐人お吉」の波乱万丈な人生」に引き続き、昭和5年出版の松村春水「実話 唐人お吉」に沿い、「唐人お吉」と呼ばれた幕末の下田の芸妓、斎藤きちの数奇で哀切な一生を紐解きます。

実際に柿崎のアメリカ領事館に到着してみると、ハリスは病気で、芸妓遊びどころではありませんでした。きちは驚いた事でしょう。

きちがどのくらいの期間ハリスの元に通ったかは、諸説あります。3ヶ月世話をした説、1週間で暇を出された説、奉行所の記録によると、たったの3日間だったとか。いずれにしてもわずかな期間ですが、きちは病気のハリスを寝ずに看病し、ハリスが好きな牛乳を苦心して手に入れ大層喜ばせたと伝わります。きちは、相手が外国人だからと言って対応を疎かにしない、心優しく芯の強い女性だったのです。

しかし周りの目はそうは見ません。毎日美しく着飾り化粧したきちが、豪華な駕籠に乗りこみ、武士にまで挨拶を受けて領事館へ向かう姿を見た町の人々は、彼女が内心どんな心細い気持ちでいるか知るわけもなく、偏見と嫉妬で彼女をこう呼ぶようになります。「唐人お吉」と。同時に、きちが高飛車に「日本人なんか相手にしません」と言ったという根も葉もない噂まで広まってしまいます。

そのせいでハリスの看病の役目を解かれた後も客が付かなくなってしまったきちは、現実から目を背けるように酒に溺れる日が増えました。そして20歳の頃、ついに人々の前から姿を消します。

3ページ目 結婚をするも酒乱が再発。そしてお吉の最期

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