文明開化を代表する食べ物
日本の食生活文化の筆頭は米でありますが、それに負けず劣らず食文化として人気を博しているもの、それはパンです。
日本国内にパン食が普及したのは、明治初期にあたる文明開化まさにその時でした。そこで、あんぱんを発明した男が、実業家の木村安兵衛です。今回は彼の人生とともに、あんぱんを発明するまでの経緯そしてその後の日本国内へ残した影響について歴史を辿っていきます。
銀座木村屋總本舗のはじまり
木村安兵衛は、江戸時代末期には武士として生計を立てていました。1867年(慶長4年)徳川慶喜による大政奉還が行われ、明治維新により安兵衛をはじめとした武士の大半が身分を解かれることになります。今でいうリストラです。
明治に入り職を失っていた安兵衛は、茨城県牛久市の故郷を飛び出し、明治政府が設立した東京府職業授産所の所長を務めていた木村屋本家・木村重義を頼り、同所の事務職に就きます。そこで、長崎でオランダ人のもとで屋敷のコックをしていた梅吉に出会い、授産所を辞めて、1869年(明治2年)に芝・日陰町にパン屋「文英堂」を開業します。店名の由来は、安兵衛とともにパンづくりに励む妻ぶんの名を「文明開化」の「文」に当てはめ、18歳の次男・英三郎から一字を採ったといわれています。
しかし、開業したこの年に火災で店を焼失したため、翌年、京橋区尾張町(現在の中央区銀座)に店を移して屋号を木村屋に改めました。これが現在も続く、銀座木村屋總本舗となります。英三郎や、パン職人・武藤勝蔵の協力を得て営業を再開、1872年(明治5年)には軍隊食として洋食を導入していた築地の攻玉社(のちの海軍中学校)の御用達になります。さらに、同年に新橋~横浜間に鉄道が開通した折には、駅構内に販売店を設けていっそう商売繁盛しますが、翌年2月に2回目の火災により店を焼失してしまいました。