戦国時代の乱世には、歴史の表舞台に立つ武将たちの影で暗躍した数多くの忍者がいました。
その中でも、ひときわ異彩を放つフリーランスの天才忍者とも呼ぶべき人物がいます。加藤段蔵、通称「飛び加藤」あるいは「鳶加藤」と呼ばれる男です。
今回は彼の有能ぶりとその最期を前編・後編に分けて解説します。
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段蔵の出自には多くの謎が包まれています。忍者の里として有名な伊賀や甲賀の出身とも言われますし、常陸の国の生まれとも、相模の風魔一党の流れを汲むとも伝えられています。
しかし確かな記録はなく、実際の生い立ちは闇の中です。
ただ一つの手がかりとして、江戸時代の地誌『近江輿地志略』には、永禄年間に活躍した「最妙手」、つまり最高の名手であったと記されています。
このことからも、彼が当時いかに突出した技術を持っていたかがうかがえます。
伝説の幻術
彼がその名を轟かせたのは、跳躍術と幻術においてでした。
「飛び加藤」というあだ名の通り、まるで空を飛ぶかのような身軽さを持っていたとされます。おそらく、ドラマの水戸黄門に出てくる飛び猿のような感じだったのでしょう。
しかし、彼を歴史に刻んだのは単なる運動能力だけではありません。先述の通り、人を惑わす幻術を使ったのです。
彼が越後の春日山城下へ現れたときのエピソードは強烈です。大勢の群衆の前で、彼は牛を一頭丸ごと飲み込んでみせるという「呑牛の術」を披露しました。
このエピソードには続きもあります。人々がその光景に度肝を抜かれる中、一人の男が木の上から「あれは牛に乗っかって隠しているだけだ」と叫びました。
すると段蔵は、夕顔の実が生えているのを見つけ、その実を刀で切り落としました。その瞬間、木の上にいた男の首が地面に落ちたといいます。
なんだかわけが分かりませんが(そもそも本当なのかどうかも分かりませんが)、何らかのトリックを使ったのでしょう。
