絶倫の悲劇…『べらぼう』にも登場、55人以上の子に恵まれた徳川家斉の大奥は“保育園状態”だった?

山内琉夢

NHKドラマ『べらぼう』にも登場している江戸幕府11代将軍・徳川家斉(とくがわいえなり)ですが、「実際の家斉はどのような人物だったのか」と興味を持たれた方も多いのではないでしょうか。

史実の家斉は、側室40人以上、子ども55人以上を抱える絶倫将軍として知られています。
大奥といえば色恋や権力争いの場というイメージがありますが、家斉の時代は子どもが増えすぎて、ほぼ“巨大保育園”状態だったのです。

今回は、家斉の出産ラッシュと大奥の知られざる実態に迫ります。

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大奥は保育園!?

家斉が政権を握ったのは1780年代後半から1830年代までの約50年。その間、側室たちはほぼ毎年妊娠・出産を繰り返し、同時に何人もが懐妊する年も珍しくありませんでした。

その結果、大奥は乳幼児と出産期の女性で常に満員状態。御産所(出産専用の部屋)もすぐに満室になり、増築や臨時建設は日常茶飯事でした。

憧れの仕事と満員の大奥

子どもが増えれば、育児担当の女中も急増します。1人の子どもにつき30人規模の乳母や世話役が必要なこともありました。

乳母は名誉ある職として大人気で応募は殺到。結果、大奥全体の女中は1,000人以上に膨れ上がったといわれています。当時は育児こそが大奥を動かす中心であり、色恋や陰謀よりも日常の“世話”が主役でした。

2ページ目 出産ラッシュの影響と家斉の知恵

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