【豊臣兄弟!】天下人を支えた“最強の母”!秀吉・秀長を女手一つで育てた母・仲(坂井真紀)の生涯

大河ドラマ第65作で描くのは、戦国時代のど真ん中!!強い絆で天下統一という偉業を成し遂げた豊臣兄弟の奇跡──

※大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。

戦国時代のど真ん中にあって、そんな奇跡の兄弟を生んだ母親は、果たしてどんな女性だったのでしょうか。

今回は豊臣秀長の母・なか(仲。大政所)について紹介。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の予習にどうぞ。

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家を飛び出していった息子たち

なか(仲)は永正13年(1516年)、尾張国愛知郡御器所村(ごきそむら。名古屋市)で生まれました。

実名は「なか」とされているものの、史料によって「なか中村の人(※)」という記述を彼女の名前と誤認したという説もあります。

(※)「なか。中村の人(中村に住む、なかという人)」なのか、あるいは「中中村(なかなかむら。中村の中心地域)の人」なのか……ということですね。

父親は美濃国の鍛冶屋・関兼貞(せき かねさだ。関兼員とも)と言われますが、故あって尾張国へ移り住んだのでしょうか。

4人姉妹の長女だったらしく、妹はそれぞれ栄松院(小出秀政室)・大恩院(青木秀以室)・松雲院(福島正則母)と言いました(いずれも実名は不詳)。

また従妹に伊都(いと。のち聖林院、加藤清正母)がおり、彼女たちは後に豊臣政権を担う者たちと深い関係を持っています。

はじめ織田家に仕えていた足軽の木下弥右衛門(きのした やゑもん)に嫁ぎ、長女のとも(日秀)と長男の秀吉を生みました。

やがて天文12年(1543年)1月2日に弥右衛門が亡くなると、こちらも織田家に仕えていた竹阿弥(ちくあみ)と再婚。こちらとは次男の秀長と次女の旭(あさひ)を生みます。

ただし近年の研究では、秀吉と秀長は共に弥右衛門の息子であると考えられているようです。

また弥右衛門と竹阿弥は同一人物(弥右衛門が出家後に竹阿弥を号した)という説もあります。

そんな木下家では、まず秀吉が家を飛び出し、それから約10年後に秀長も秀吉に誘われて家を出て行ってしまいました。

やがて仲は立身出世した秀吉に引き取られ、秀吉が近江長浜城主になると、嫁のおね(秀吉正室。北政所)らと一緒に暮らすようになります。

ちっちゃな頃から悪ガキで、心配ばかりかけていた秀吉ですが、母親に対する愛情は人一倍でした。秀吉は絶えず仲を身近におき、終生大切に扱ったそうです。

4ページ目 天下人の母となる

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