松平定信(井上祐貴)が筆頭老中として政権を掌握すると、旧田沼派の人々は次々に粛清されていきます。
その魔手は下々にまで及び、大田南畝(桐谷健太)などは政道批判の狂歌を詠んだ疑いをかけられ、断筆を宣言するまでに追い込まれてしまいました。
メディアにカネを握らせてよい評判を流させる一方、批判的な声は身辺調査を命じるなど、早くも独裁者ぶりを発揮。宣伝工作に躍起な「ふんどし野郎(定信)」の本性を暴いてやろうと、蔦重(横浜流星)たちは書を以て抗うことを決意します。
果たしてこの書が吉と出るか凶と出るか……運命の天明8年(1788年)が明けたのでした。
関連記事:
【べらぼう】蔦重の晩年に大きな影を落とす松平定信(井上祐貴)の「寛政の改革」とは
NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」第34回放送「ありがた山とかたじけ茄子(なすび)」、今週も気になるトピックを振り返っていきましょう!
なぜ定信が「ふんどし野郎」?
天明の打ちこわしを自分で収めたかのような顔をして、老中の座についた松平定信。蔦重は「他人の褌で相撲をとった」と面白くありません。
しかしおていさん(橋本愛)から見れば、田沼意次(渡辺謙)の治世が惹き起こした打ちこわしを、自分で後始末しただけのこと。特に田沼が評価される(老中に復帰すべき)とは思っていなかったのでしょう。
ところで最初に蔦重が定信を「ふんどし野郎」と呼んだのは、定信が越中守だから、越中ふんどしになぞらえたのかと思いました。
後のことになりますが、定信が主導した寛政の改革は、田沼政権から引き継いでいる政策も多くあります。こうしたことからも、蔦重から見て「他人の褌で相撲をとった」ように見えるかも知れません。
結局は、さじ加減
老中首座に就いた松平定信は田沼政権の治世を「田沼病」と猛烈に批判しました。
上から下までみんなが奢侈に流れ欲に溺れ、天明の打ちこわしはその最たるものであると。そして質素倹約を旨とした享保の世(第8代・徳川吉宗が主導した享保の改革)にならってこそ、世は泰平に治まる……。
しかし定信の熱弁に対し、聞いている者たちは欠伸をかみ殺す始末。早くも定信政権の綻びが散見されました。
関連記事:
『べらぼう』松平定信(井上祐貴)を転落へと追い詰めた事件とは?正論の押し付けが仇となり一橋治済とも対立
贅沢を戒めてみんなが真面目に働けば暮らしはよくなる……確かに正しい理屈です。しかしそれは蔦重の言う通り「お前ら庶民は何の楽しみもなく、死ぬまで働け」と言っているに等しい暴論でしょう。
まぁ、結局はさじ加減なのですが、そんなことだから後に「もとの田沼の濁り恋しき」などと詠まれてしまうのです。
「旦那様、明鏡止水にございます」
蔦重に詰め寄るおていさんのこのシーン。このときに眼鏡を外したのは、殴られることを覚悟したから(当時、妻が夫に反論まして批判するなどは論外とされた)。
