8月10日に放送されたNHK大河ドラマ「べらぼう」第30話『人まね歌麿』の回想と考察。【前編】の記事では、歌麿(染谷将太)の壮絶な「生みの苦しみ」と、助けることもできず悩む蔦重(横浜流星)を回想しました。
大河『べらぼう』過去回シーンが伏線に…凄惨な過去の亡霊に苦しむ歌麿、救えぬ蔦重【前編】
自分の“”夢”だった「俺が当代一の絵師にしてやる!」という「時が来た」とひらめいた蔦重は、歌麿を売り出すため、「枕絵」を描くことを勧めます。
けれど、それは歌麿を苦しめることになってしまいました。自分が死に追いやってしまった鬼畜な母親と愛人の浪人の幻覚に悩まされ苦しむ歌麿と、救えずに悩む蔦重。
そんな地獄から、歌麿を(蔦重も)引き上げてくれたのが鳥山石燕(とりやませきえん/片岡鶴太郎)でした。
「忘れるか!あんなに楽しかったのに」の言葉が歌麿の呪縛を解く
浮世絵ファン、妖怪ファンなら誰でも知っている江戸中期の画家・浮世絵師、鳥山石燕。史実でも数多くの著名な絵師を排出した師として知られ、喜多川歌麿、恋川春町、栄松斎長喜、歌川豊春などを育ててました。
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ほかの絵師が描く「妖怪画」は、恐怖心や嗜虐性をかき立てるようなものも多いのですが、石燕の画風は、ちょっとクスッと笑ってしまうようなタッチで妖怪への愛情が感じられるのが特徴です。
そんな石燕は耕書堂の本を読み、「これはあの時の、三つ目の小僧が描いた絵に違いない」と、店を尋ねてきます。
初めて唐丸に出会った時、母親に暴力を振るわれおでこの真ん中にたんこぶを作っていたので、石燕は彼を「三つ目」と呼びました。
ちょうど「妖怪三つ目小僧」のようにおでこの真ん中にたんこぶがあるから単純にそう呼んだのでしょうか。「妖怪がそこにいるのが見える」と言っていた石燕のことだから、歌麿が素晴らしい才能を持つことを瞬時に感じ(それを感じとる石燕も三つ目の持ち主なのでしょう)、両目以外に持つとされる特別な感覚器「第三の目(サードアイ)」の意味で言ったのかもしれません。
店に戻ってきた歌麿を見て
「やはり歌麿は三つ目であったか〜!」
「なんで来なかった? いつくるか、いつくるかと待っておったのじゃぞ」
「けど、よう生きとったな、よう生きとった」
と大喜びする石燕。見ているほうも嬉しくなるようなシーンでしたね。子供時代、1回会っただけなのに自分を覚えていてくれたことに驚いた歌麿が「覚えていてくれたんですか」と聞くと、
「忘れるか!あんなに楽しかったのに」という石燕。このセリフはぐっときました。
自分と絵を描いたことを楽しかったと思っていてくれた、自分を待っていてくれた、人殺しの自分が生きていていたことを喜んでくれた、存在を全肯定してくれるこの言葉はどれだけうれしかったことでしょう。
