江戸時代、武士たちにとって御家の存続は何より大事でした。
そのため、跡取りの確保が何よりの重大課題となっていたようです。
今回は粕谷金大夫(かすや きんだゆう)のエピソードを紹介。果たして彼は、跡取りを確保できるのでしょうか。
養子の縁談を取りつけるも……。
粕谷金大夫は生年不詳、御徒から支配勘定、そして漆奉行へと昇進していきました。
とりあえずは順調に見えた金大夫ですが、跡取りに恵まれないのが目下の悩み。このままでは無嗣断絶(※)となってしまいます。
(※)跡取りが決まっていない状態で当主が亡くなると、御家断絶に。ギリギリになって養子をとる末期養子は基本的に認められません。
そこで田安家(御三卿の一)に仕える平川六左衛門(ひらかわ ろくざゑもん)に相談しました。
「然らば、我が従弟の市人新九郎(いちひと しんくろう)に継がせてはどうか」
「忝(かたじけな)い。さっそく手配を……」
喜び勇んだ金大夫。しかし六左衛門は待ったをかけます。
6年間も養わされた挙句……。
「しかし今すぐと言う訳にも参らぬ。相応に支度があるゆえ、今しばし待たれよ」
「……相分かった」
「して、モノは相談なんじゃが……」
平川家も懐が厳しいと言うので、新九郎の生活費を粕谷家で負担することとなりました。
金大夫としては手痛い出費ですが、これも養子をもらうため……と辛坊すること早6年。そろそろ金大夫も苦しくなってきます。
「なぁ平川殿。いくら何でも支度に時をかけ過ぎでは?」
今にも堪忍袋の緒が切れそうな金大夫に対して、六左衛門は蕎麦屋の出前。
「いやいや、ようやく支度が調い申した。それでは新九郎を養子に出すゆえ、これまで当家で立て替えていた支度金をお支払い願いたい」
「……!?」
6年間も生活費を負担させられた挙句、トドメに支度金まで出せとはいい度胸ではありませんか。
しかし、ここで卓袱台をひっくり返しては、ここまでかけた費用がすべて水の泡となってしまいます。
「これが……最後ですぞ?」
まさに血を吐くような思いで支度金を支払った金大夫。もう心身ボロボロですが、これでようやく念願の養子が……。
来ませんでした。
