『べらぼう』闇堕ちの誰袖…蔦重と意次が決意の”仇討ち”。怒涛の展開に視聴者胸アツ!

佐野政言(矢本悠馬)の兇刃に斃れた田沼意知(宮沢氷魚)。世間は田沼憎しの風潮から、その葬列に石を投げる始末……身請けを目前にしていた誰袖(福原遥)は幸せの絶頂から一気に転落、闇堕ちしてしまいます。

そんな中で丈右衛門だった男(矢野聖人)の暗躍に気づいた蔦重(蔦屋重三郎。横浜流星)は、大いなる陰謀を感じ取り、田沼意次(渡辺謙)に「仇討ち」を進言しました。

始めは慎重姿勢で蔦重を退けた意次ですが、亡き嫡男が成し遂げようとしていた事業を引き継ぐことこそ、自分なりの「仇討ち」と確信。一連の黒幕である一橋治済(生田斗真)に宣戦布告するシーンに、視聴者は胸を熱くしたことでしょう。

また蔦重も誰袖の笑顔を取り戻そうと、北尾政演(古川雄大)が持って来たネタで「仇討ち」を思いついたのでした。

……今週も視聴者のメンタルが削られたのではないでしょうか。それではNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」第28回放送「佐野世直大明神」張り切ってレビューして参りましょう!

刃傷事件の概略

時は天明4年(1784年)3月24日。江戸城の中之間において、佐野政言が脇指を抜刀して田沼意知に斬りかかりました。

【べらぼう】なぜ佐野政言は田沼意知を斬ったのか?史実資料から実際の犯行の動機を解説

時は天明4年(1784年)3月24日。江戸城中之間において、佐野政言(さの まさこと)が脇指を抜いて若年寄の田沼意知(たぬま おきとも。意次嫡男)に斬りかかりました。意知は初太刀で肩口を斬られ…

政言は初太刀で肩口を、続いて手・腹部・膝下と斬りつけます。意知は逃亡して姿を見失い、政言は大目付の松平忠郷(まつだいら たださと)に取り押さえられ、目付の柳生久通(やぎゅう ひさみち)に脇指を取り上げられたのでした。

捕らわれた政言は伝馬町の揚座敷に預けられ、大目付の大屋明薫(おおや あきしげ)・江戸町奉行の曲淵景漸(まがりぶち かげつぐ)・目付の山川貞幹(やまかわ さだもと)らの取り調べを受けます。

重傷を負った意知は駕籠を許されて帰宅するも、苦しんだ末4月2日に絶命。そのため政言は切腹と相成りました。

葬列に石を投げる外道たち

丈右衛門だった男の煽動により、生活が苦しいのはみんな田沼のせいとばかり、人々は葬列に石を投げつけます。

ちなみに同じころに松平武寛(亡き松平武元の子)の葬儀も行われましたが、勘違いによって石などを投げつけられたそうです。

♪おらは田沼を憎むじゃないが、ザンザ独息子も殺された。オヨ佐野シンザ(新番の善左衛門=佐野政言)、血はザンザ、よい気味じゃエー♪

またこのようなサンサ節(戯歌)が流行りました。昔から「死ねば仏(恨みっこなし)」と言うものの、いかに田沼政権が(逆恨みも含め)人々の怨みを買っていたかがよくわかります。

♪いやさの善左(ぜんざ。佐野善左衛門政言)で 血はさんさ 血はさんさ……♪

※劇中の替え歌

しかし誰袖たちにしてみれば、屍に鞭打つような鬼畜の所業に見えたことでしょう。

5ページ目 佐野政言の切腹 〜 米が安くなった本当の理由は?

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