家康のすぐそばにいた、もう一人の男
戦国時代の覇者、徳川家康。その名は誰もが知るところですが、そんな家康のすぐそばに、若いころから晩年まで、変わらぬ忠誠を尽くした男がいたことは、あまり知られていないかもしれません。
その名を、平岩親吉(ひらいわ・ちかよし)といいます。
ちなみに2023年(令和5年)の大河ドラマ「どうする家康」では、ハナコの岡部大さんが演じていました。
身内よりも優れた者を。私情を排して公正無私に努めた平岩親吉(演:岡部大)のエピソード【どうする家康】
人間誰しも親疎の情は湧くもので、疎遠な人よりも親密な人の方を重んじたくなってしまうのは無理もありません。しかし親愛の情も行き過ぎると身びいきとなり、平成・令和の昨今でも「お友達政治」などが批判…
同じ年に生まれた「生涯の伴」
親吉は家康と同じ1543年に生まれました。ふたりは幼いころから運命をともにし、人質として今川家や織田家に送られ、不安と隣り合わせの暮らしを強いられます。
命の保証もない日々。そんな過酷な状況の中で築かれた絆は、もはや単なる主従関係ではなく、家族のようなつながりだったのでしょう。
やがて家康が三河の国を治めるようになると、親吉も自然な流れでその側近として仕えるようになります。忠義と信頼に支えられたその関係は、年月を経ても変わることはありませんでした。
家康の長男・信康の教育係に任命される
親吉は、家康の長男・信康(のぶやす)の教育係としても重要な役割を担います。信康は才気にあふれ、将来を嘱望された若者でした。親吉はまるでわが子のように信康を育て、その成長を誰よりも喜んでいたといいます。
しかし、時代は非情でした。信康は、織田信長の命により、謀反の疑いで切腹を命じられてしまいます。家康自身も、信長に逆らうことはできませんでした。
親吉は、自らの命を差し出してでも信康を救いたいと願い出たと伝わっています。
「私の命と引き換えに…」
その一言に込められた思いを想像するだけで、胸が詰まります。けれど、その願いは届かず、信康はわずか二十一歳でこの世を去ります。
親吉は形見として信康の髪を受け取り、その深い悲しみのなかで謹慎生活に入ったといいます。どれほどの無念と痛みを抱えていたか、察するに余りあります。
