“松方デフレ”の衝撃――インフレから一転、明治時代の日本を襲った経済政策とは

Writer121

インフレから「松方デフレ」へ

日本の中央銀行である日本銀行は、1882(明治15)年に公布された日本銀行条例にあわせて設立されました。当時、大蔵卿(現在の財務大臣)だったのが松方正義です。

松方が最初に行ったのは、当時猛威を振るっていたインフレーションを収束させることでした。そのために彼は増税を行って巷の紙幣を回収し、政府の支出を減らす緊縮予算を編成します。

「松方財政」と呼ばれるこの政策により紙幣整理は進みましたが、今度は増税による深刻な不況と物価の急落が起き、日本経済はインフレーションからデフレーションに転じます。

デフレーションは貨幣が減ってお金の価値が上がり、物価が下がることです。ものは売れるのですが、企業にとっては利益が少ないわけです。これは「松方デフレ」と呼ばれました。

しかし、ここで紙幣を大量に発行するとまたインフレーションが起きてしまいますので、紙幣を兌換紙幣に切りかえることによって紙幣が増えないようにします。

さらに翌年には「国立銀行条例」を改定し、すでに開業している国立銀行の営業許可年限を20年とし、紙幣を発行しない普通銀行への転換を定めました。

また、紙幣の流通量が減り紙幣価値が回復してくると、1884(明治17)年に兌換銀行券条例を公布しました。

そして銀と紙幣の価値の差がなくなり、1円銀貨と1円紙幣が円滑に交換できるようになると、翌年に最初の日本銀行券を発行したのです。

こうして日本では、銀本位制による近代的通信用制度が確立されました。

2ページ目 当時の銀行設立の条件とは?

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