2回目もSNSでトレンド入りするほど話題のNHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』。
当時の吉原の様子や、花魁と下層級の遊女たちの厳しい階級差も注目されています。
そして、艶やかな衣装に身を包んだ花魁道中でも注目されたのが、老舗妓楼「松葉屋」の花魁・花の井(小芝風花)。
実は、花の井は実在の人物で、吉原屈指の名妓(めいぎ)と呼ばれた「五代目 瀬川(せがわ)」です。
ドラマの中では、のちの「鬼平」こと長谷川平蔵宣以(中村隼人)が、気が強くすげない態度の花の井に一目惚れしてぞっこんになっていく様子が、ユーモラスに描かれています。
持ち前の美貌・優れた芸事の腕前・教養の高さで、吉原を代表する花魁として江戸中にその名を馳せたといわれる、花の井こと瀬川。
どのような花魁だったのか。当時の遊女たちの格付けとともにご紹介します。
華やかにみえる吉原遊女たちの厳しい格差
「買う側」にしてみれば、煌びやかな衣装に身を包んだ高値の花・花魁や、豪勢な仕出し料理での宴会など、華やかな世界に見える吉原。
けれども「買われる側」にとって吉原は、ほとんどの女性が身売りという形でやってきた場所です。
喜んでやってきたわけではなく、嫌な客にも身体を売り、休みをもらえるのは元旦とお盆の年にわずか2日、あまりの辛さに遊女が逃亡しないよう通行書がないと吉原の大門からは一歩も外には出られない掟があるなど、超ブラックな職場でした。
馴染み客に身請けされ自由の身になる遊女もいましたが、年をとったり病になったりして場末の女郎屋に身をやつし、死後は「投げ込み寺」に遺体を捨てられる……そんな悲劇的な最後を迎える遊女は少なくありませんでした。
江戸時代、遊女の最期は寺に投げ込まれていた?苦界に身を落とした遊女たちが眠る浄閑寺とは
庶民たちからは「廓務めは苦界10年」と囁かれるほど仕事も生活もきつい職場だったのです。
幕府が公認している遊女の数は、その年によって変化しますが、平均2,500人ほどいたそうです。