日本を代表する浮世絵師、葛飾北斎。
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海外では「グレートウェーブ」と呼ばれる葛飾北斎の「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」。北斎の画業を代表するこの作品、なんと北斎72歳の頃に描かれたもの。決して一朝一夕でできた作品ではありませんでした。今回は…
実は彼、「誹風柳多留(はいふうやなぎだる)」という当時の人気川柳雑誌に投稿するのが趣味で、掲載された数なんと188句。
多才な北斎の川柳の腕前は趣味の域を超えており、一度は「誹風柳多留」の序文まで任されたほど。今回は川柳界でも一流だった北斎の川柳を一部ご紹介します。
絵には描けない悩める北斎の姿
「我(わが)ものを 握る片手の ぬくめ鳥」
ただの下ネタと片付けるには惜しい温かみを感じませんか?北斎先生、どうやら絵の事で悩んでいるようです。頭の中にあるものをそのままごっそり筆に乗せて描き尽くしたいが、どうしたものか筆がちっとも動かない。
そのうちに墨がぽたっと白い紙の上に垂れてしまったりして。そんな時はつい反対の手で股間をにぎにぎ。鳥が羽で雛を温めるように優しく優しく。
浮世絵と真っ直ぐ差し向かう北斎の、人には見せない姿が見えてきます。
「天才だってなんだって、悩みも行き詰まりもすらア」というぼやきが聞こえそうな愛おしい一句です。
「気違ひの とらまえたがる 稲光(いなびかり)」
真っ黒な雲の上でゴロゴロ音が鳴り始めると、外にいる人はみんな笠を押さえて逃げ出すってのに、嬉々として家から飛び出してきたジジイが1人。
そのとんだジジイこそ、北斎その人です。
ピカピカッと来てドオン。近ければ近いほど目をかっ開いて見上げます。本気です。北斎は、雷の光も音も風も全部捕(とら)まえて自分のモンにしちまおうと本気で思っていたんです。そしていつか必ずこの稲光って奴を描いてやろうと。「画狂老人」の名にかけて。