弥生時代〜古墳時代の遺物が赤く塗られていたのは何故か?〜「赤色」をめぐる古代人の精神性

死者と赤色

弥生時代から古墳時代にかけての墳墓から発見された木棺や石棺には、内部が赤く塗られているものが少なくありません。

たとえば、吉野ヶ里遺跡から出土した甕棺には赤い色が残っていますし、藤ノ木古墳の石棺内部はみごとな朱に塗られていました。

その他の遺跡から発掘された棺も、内部を赤く塗ったものが目立ちます。

これは、棺内部を血の色と同じ赤にすることで、死者を蘇らせようと願ったのではないかと考えられています。

存命中、人間の血は鮮やかな赤色ですが、死者の血はドス黒く変色していきます。そこで、棺内部を鮮血の色に染めることで、死者が鮮やかな血の色を取り戻して生き返ってほしいと願ったのでしょう。

赤い塗料の原料は、多くの場合は水銀朱です。水銀朱は水銀と硫黄をまぜることで作られ、鮮やかな朱色をしています。

古代の赤色は、私たちが赤色と聞いてすぐイメージするあの色ではなく、朱色が基本でした。

身体も塗っていた弥生人

また、土器でも赤い色をしたものが発見されることがあります。酸化鉄を塗って赤く発色するように焼き上げられたものです。

そうした赤い土器は遺体を納めた甕棺のそばから発見されるため、これにも同様に死者が鮮血を取り戻して、蘇ってほしいという願いが込められていたと考えられています。

また魏志倭人伝では、当時の倭人は呪術的な目的で全身を朱で塗っていたという記載があります。

3ページ目 呪術でもあり美術でもある色

次のページ

この記事の画像一覧

シェアする

モバイルバージョンを終了