好意と信頼
幕末期の日本史に目を通していると、米国の初代・駐日領事であるタウンゼント・ハリスの名前が必ずと言っていいほど目に入ります。
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彼は1856年(安政3)8月に下田に着任しました。以後、幕府との度重なる交渉の末、翌年5月に下田協定を調印します。さらに、来日から2年後の1858年(安政5)、大老である井伊直弼との間で日米修好通商条約の締結に成功しました。
幕末期と言えば黒船によるペリーの恫喝外交や不平等条約などのイメージもあって、ハリスもまた日本人に対して恫喝してきたのではないか? 当時のアメリカ人は皆そうだったのではないか? などと思いがちですね。
実際のところ、このタウンゼント・ハリスはどのような人で、日本のことをどう思っていたのでしょうか。その生涯を追ってみましょう。
条約を締結した当時の日本はヨーロッパ風の法体系を持たなかったため、治外法権を認めざるを得ませんでした。ハリスはその他の規定では日本に不利になるような条項は設けませんでした。
ハリスは日本人および日本に対してかなりの好意を持っていたようです。
彼は初代駐日公使となり、下田から江戸へ移って麻布に公使館を開きました。また、その間に幕府の信頼を得たこともあり、条約締結後は外交問題について幕府からたびたび意見を求められています。
このあたりだけを見ても、ハリスという人物は、当時の日本や幕府にとって信頼のおける人柄だったことが分かります。