「一休さん」と言えば、「数々のトンチ(頓智)で難題を愉快に解決する愛され僧侶」をイメージする人も多いはず。
ところが!
一休さんのモデルとなった臨済宗大徳寺派の僧侶「一休宗純(いっきゅうそうじゅん)」は、若い頃から仏教の戒律を無視し続ける、酒と肉、そして女と男が大好きな破戒僧だったのです…!
さてさて今回は、どうしてそんな破戒僧が、「一休咄(いっきゅうばなし)」や「アニメ一休さん」などで愛されキャラとして描かれてしまったのか、その謎に迫ります。
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「一休さん」とは
まずは、私たちがよく知っている「愛され一休さん」の有名な説話についてみていきましょう。
室町幕府の3代目将軍、足利義満に「屏風に描かれたトラを退治するように」と言われ、「退治するために、まずはトラを屏風から出してほしい」と返して感服させたそうです。
また、「このはしわたるべからず」と書かれた立札のある橋も、「このはし(端)わたるべからず」と言い、堂々と橋の真ん中を渡ったと言われています。
このような説話に出てくる一休さんの臨機応変な知恵は、「トンチ(頓智)」と呼ばれ、一休さんのキャラクターとともに広く親しまれています。
…が!
これはあくまでも、お話のなかの「一休さん」。
ここから先は、一休さんのモデルとなった破戒僧「一休宗純(以下、一休)」の驚きの珍行動の数々を紹介いたします。
来客の多い寺の住職を10日で放棄
ほかの僧侶から頼まれ、住職を務めていた一休は、来客の多さに仕事を10日で放棄したとも言われています。
しかも置手紙には、「煩悩が多くて耐えられない」などと仕事を途中で放棄することを堂々と記し、尋ねてくる場合には酒場で探すよう残していたというから驚きです。
正月にドクロを持って練り歩く
正月には、お墓から持ってきたドクロを杖につけて「ご用心、ご用心」と各家を訪ね歩いたと言いますから、掘り返されたドクロもさぞ驚いたことでしょう。