彰子の女房 宰相の君(さいしょうのきみ)
瀬戸 さおり(せと・さおり)藤原豊子(ふじわらのとよこ)。藤原道綱の娘。藤原彰子に女房として仕える。
※NHK大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより。
『源氏物語』で文才を見出され、内裏へ出仕することになった紫式部(役名まひろ)。そこには多くの女房たちが仕えており、様々な人間模様を描きました。
そんな女房の一人として知られる宰相の君(藤原豊子)。みんなから尊敬されつつも紫式部がイタズラしてしまうほど親しみやすい愛されキャラだったようです。
【光る君へ】親友・紫式部のイタズラにぷんぷん!藤原彰子に仕えた『宰相の君 (藤原豊子)』とはどんな女性?
ちなみに宰相の君という名の女房は藤原豊子のほかにもう一人おり、同年代に彰子へ仕えています。
今回はこちら、もう一人の宰相の君(北野三位、藤原遠度女)について紹介。こちらは大河ドラマに登場するのでしょうか。
宰相の君の生い立ち
宰相の君は生年不詳、父親は藤原遠度(とおのり)、母親は従三位季兼女(すえかね。姓不詳)でした。実名についてはよく分かっていません。
父親の藤原遠度は藤原兼家の兄弟なので、宰相の君は藤原道長の従姉妹に当たります。
兄弟姉妹には藤原高頼(たかより)・尋空(じんくう。僧侶)・朝源(ちょうげん。僧侶)・女子(藤原広業室)がいました。
藤原彰子に出仕した時期ははっきりしないものの、恐らくは彰子が入内した長保元年(999年)ごろと考えられます。
ちなみに藤原豊子の方の宰相の君は道長の異母兄である藤原道綱の娘ですから、宰相の君同士で従姪(いとこめい)・従母(いとこおば)となります。
出仕してどちらも宰相の君と呼ばれたようですが、『紫式部日記』を読むと「北野三位(きたののさんみ)」とことわりを入れているので、そう呼ばれることもあったのでしょう。
ちなみに宰相とは公卿(三位以上または参議以上)を指し、父親の遠度が従三位となっていたことから宰相の君と呼ばれました。