昔し、校庭に野良犬や野良猫などが迷い込んで、ちょっとした騒ぎになることがありました。
彼らは自分の足で歩いてくるのだから別に不思議でもないのですが、大昔の人々はこれを怪異と見なし、その吉凶に神経を尖らせたそうです。
今回は平安時代、一羽の兎が惹き起こした?こんなエピソードを紹介したいと思います。
迷い込んだ一羽の兎
時は万寿元年(1024年)、外記局に一羽の兎が迷い込みました。
外記局(げききょく。とのおおいしるすつかさ)とは太政官に属し、その文書作成などを管轄した部署です。
「あ、兎だ」
そのまま放っておけば(あるいは追い出せば)よいものを、鍋にでもしようと思ったのか、下級官吏の使部(しぶ。つかいべ)らがこれを打ち殺してしまいました。
「お前、死穢(しえ。死のケガレ)はご法度だぞ!」
「やっぱり、まずかったかな?」
果たしてどうなのか判断がつきかねたので、占ってもらったところ「怪異のあった場所で火災が起こる」という結果が出ます。
「これは兎の祟りなのか?」
「あるいは火事が起きることを報せてくれたのかもな」
なんて言っていたら、果たして3月1日に火災が発生したのでした。
兎の怨霊を鎮めるために
ただし火災は外記局ではなく、御所の外である冷泉小路(れいぜいこうじ)一帯。堀河小路(ほりかわこうじ)より東、西洞院大路(にしのとういんおおじ)より西の広範囲が焼亡します。
この火災で式部少輔(しきぶのしょう)・甲斐守(かいのかみ)・前伊賀守(さきのいがのかみ)の邸宅も被害に遭ったのでした。
「これは兎の祟りなのか?」
「しかし火災は怪異のあった場所では起きていないし、べつに関係ないような……」
「しかしこのまま放置したら、次こそはここが焼けてしまうかも……」
協議の結果、やはり何らかの対処をすべきと決定します。
かくして3月4日には兎の怨霊を鎮めるための読経と、火災予防の火祭りが厳粛に執り行われたのでした。
これで兎の無念は晴れたのか、それからというもの、特に大きな異変はなかったようです。