日本史上屈指の偉人・聖徳太子の実績を全否定!『日本書紀』によって歪められた人物像【前編】

歴史 好き太郎

否定される聖徳太子の功績

冠位十二階十七条の憲法の制定で知られる聖徳太子は、紙幣の肖像に採用されたこともある人物です。おそらく、日本で最も有名な偉人のひとりと言っても過言ではないでしょう。

聖徳太子の偉業は、次の点に集約されます。彼はまず、遣隋使を派遣して大陸の制度を吸収しました。そして日本初の明文化法である十七条の憲法を制定し、天皇中心の国づくりを掲げます。

さらに、血筋を重視する社会を改変すべく、冠位十二階による能力主義を取り入れました。

※あわせて読みたい!

あの史実も予言していた!歴史上もっとも謎だらけの男「聖徳太子」が残した予言とは?

歴史上、もっとも謎に包まれている人物として有名な聖徳太子(しょうとくたいし)。聖徳太子は、未来を予言していたと言われています。そこで今回は聖徳太子が予言し、書き残したと言われている「未…

国益維持のための聖徳太子の秘策とは?「遣隋使」は隋との交流だけが目的ではなかった

「遣隋使」が行われた理由聖徳太子が行った有名な政策に「遣隋使(けんずいし)」があります。今まで、私などは「遣隋使は、当時の倭国が大国である隋から文化などを学ぶために行われたものだ」……とい…

詳しい内容は忘れても、多くの人が、このような大まかなイメージで捉えていることでしょう。

しかし、こうした評価は近年急速に変化しています。

極端なものでは、聖徳太子は実在の人物ではなかったという説がありますね。

しかしここでは、もう少し地に足がついた新説として、冠位十二階は聖徳太子ではなく、他の豪族もしくは天皇が大陸の制度を参考にしてつくったものだと考えられるようになったという説などをご紹介しましょう。十七条の憲法の制定についても、聖徳太子の関与を疑う意見があります。

研究の進展により、聖徳太子は国政の主導者ではなく、国政の協力者として評価する向きが強くなっているのです。

3ページ目 そもそも「聖徳太子」ではなかった

次のページ

この記事の画像一覧

シェアする

モバイルバージョンを終了