祭り上げられた奇跡の少年
島原の乱は、九州の島原藩と唐津藩のある天草諸島を中心に起きました。江戸時代初期にあたる寛永14年(1637)10月のことで、日本史上最大級のキリシタン蜂起といわれています。
この反乱の指導者として知られるのが、弱冠16歳の天草四郎。彼は数々の奇跡を起こしたカリスマであり、領主の悪政に苦しむキリシタンを救済するために反乱を指導したといわれてきました。
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天草四郎に率いられた約3万7000人の反乱軍は、原城を占拠して領主に対抗します。反乱を知った幕府も兵を派遣しましたが、反乱軍はおよそ5ヵ月にわたって抵抗しました。
最終的に、幕府軍の反撃で反乱軍は崩壊したものの、天草四郎のリーダーシップで統率されたキリシタンは手強く、為政者は宗教勢力の恐ろしさを目の当たりにしたとされています。
しかし近年、この島原の乱に関する研究が進み、通説は大きく変化しています。
実際には、天草四郎は反乱軍の先頭には立っていたものの、首謀者ではありませんでした。戦闘を指揮したことも確かにありましたが、実質的な指揮権は別の者たちが握っていたのです。