藤原宣孝(佐々木蔵之介)の急死により、シングルマザーとなってしまったまひろ(紫式部。吉高由里子)。一人娘の藤原賢子(福元愛悠)を抱えて途方に暮れます。
その窮状を察した藤原道長(柄本佑)が援助を申し出るも、無官の父・藤原為時(岸谷五朗)はこれを断ってしまいました。
一方内裏では四十の賀を迎えた藤原詮子(吉田羊)が病に倒れ、間もなく崩御してしまいます。藤原伊周(三浦翔平)の呪詛が効いたのでしょうか。
道長への復讐(逆怨み)を遂げんとする伊周は、清少納言(ファーストサマーウイカ)の記した随筆『枕草子』を一条天皇(塩野瑛久)へ献上。これが道長を苦しめる秘密兵器となるのですが……。
NHK大河ドラマ「光る君へ」第29回放送「母として」は、オリンピック中継をぶった切る形でいきなり始まったので、少し驚きました。
気を取り直して今週も、気になるトピックを振り返って行きましょう!
第29回放送「母として」時系列
長保3年(1001年)
- 1月1日 一条天皇が御薬の儀を行う
- 1月2日 御薬の儀で藤原宣孝が後取を務める
- 2月5日 藤原宣孝が痔病により役目を辞退する
- 4月25日 藤原宣孝が卒去する
- 8月3日 敦康親王が藤原彰子の養子となる
- 10月6日 田鶴と巌君が陵王と納蘇利を稽古
- 10月7日 試楽で田鶴が陵王、巌君が納蘇利を演舞
- 10月9日 藤原詮子「四十の賀」本番。
同日 一条天皇が納蘇利の師・多好茂(右兵衛尉)を叙爵 - 11月13日 敦康親王の着袴(袴を着ける。七五三みたいな儀式)
- 閏12月12日 藤原行成が藤原詮子を見舞い、宿直する
- 閏12月14日 藤原行成が藤原詮子を見舞う
- 閏12月16日 藤原伊周が正三位に復帰する
- 閏12月22日 藤原詮子が崩御する
今回は長保3年(1001年)の1年間が描かれました。
宣孝の最期に立ち会えなかったのは側室という立場上、その通りとは思いますが、あまりにもあっさりでしたね。
先週死にかけていた道長の夢枕?には立ったのに、宣孝の方には行かなかった?ようです。
宣孝の生命を奪った病とは、いったい何だったのでしょうか。以前、藤原行成の日記『権記(ごんき)』より、宣孝に関する記録を紹介していますので、詳しくはこちらをご覧ください。
紫式部の夫・藤原宣孝はなぜ亡くなったのか?死因はまさかの!藤原行成『権記』によると… 【光る君へ】
長保3年(1001年)4月25日、紫式部の夫である藤原宣孝が病のために卒去しました。病については諸説あり、当時の流行り病いであろうと考えられています。そんな中、藤原行成の日記『権記(ご…
ともあれATMもとい大黒柱を喪ったまひろ一家は、生活に窮したことでしょう。国司時代に少しでも蓄えておいたことを願うよりありません。