父から息子に引き継がれる「男色」の歴史!足利将軍たちと絶世の美少年たちの関係【前編】

高野晃彰

性的指向の多様性が尊重されるのは現代になってからのように思えますが、実は男性が男性を愛する「衆道」「男色」の歴史は古く、平安時代以前頃からありました。

歴史的に有名な貴族や戦国時代の武将なども、衆道を好んでいたことで知られています。

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今回は、室町幕府3代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)、6代将軍足利義教(あしかがよしのり)の、父から息子へと引き継がれた衆道の歴史をご紹介しましょう。

3代将軍・足利義満が愛した能楽師・世阿弥

室町幕府の歴代将軍の中でも、広く知られている人物といえばアニメ・一休さんでも知られる3代将軍・足利義満ではないでしょうか。

南北朝合一を成し遂げ、現代では世界遺産の「金閣寺」の建立、武家文化と公家文化が融合した北山文化を栄えさせる……など、日本に大きな影響を及ぼした政策・文化を打ち立てたことでも有名です。

そんな歴史的な偉業とは別に、知る人ぞ知るのが「美少年好みの男色家」であったこと。

当時、足利義満は「能」という伝統文化を熱心に支援していました。特に目をかけていたのが「観阿弥・世阿弥」(かんあみ・ぜあみ)親子で、彼らは義満の庇護を受け今日まで伝わる能の源流を作り上げたのでした。

世阿弥の美少年ぶりにひとめ惚れした足利義満

義満と世阿弥の初めての出会いは、1374年(応安7年)、義満16歳、世阿弥11歳のときだったそうです。義満は新熊野神社で行なわれる観阿弥が率いる観一座の興行を観に出かけ、眩しく輝くほどに美しい世阿弥にすっかり一目惚れしてしまいます。

世阿弥は、南北朝時代の公卿、歌人であり連歌の大成者である二条 良基(にじょう よしもと)も、すっかり夢中になるほどの美少年だったそうです。

2ページ目 死ぬまで続いた足利義満と世阿弥の関係

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