昔から「二度あることは三度ある」なんて言いますが、災難に見舞われる人は一度二度では終わらず、何度も見舞われやすいものです。
例えば泥棒なども、一度として入られない家がある一方で、何度も入られてしまう家もあります。
泥棒にしてみれば、セキュリティの甘い家は最高のお得意様と言ったところでしょうか。
今回は平安時代に権勢を極めた藤原道長の窃盗被害を紹介。2日間で3回も泥棒が入ったというから驚きです。
最初の被害
最初の被害が発生したのは、寛弘8年(1011年)12月8日。
道長の自宅である土御門邸の贄殿(にえどの)から、銀の提(ひさげ)が盗まれました。
贄殿とは食糧を貯えたり調理したりする場所で、要するにキッチンですね。
また提とは弦をつけたお銚子(ちょうし)のこと。弦で提(ひっさ)げることができるため、そのように呼ばれました。ちょっとお洒落な急須をイメージするといいかも知れません。
提の大きさがどれほどかは記録がないものの、一般的な急須サイズ(重量)の銀塊が盗まれたものと想定してみましょう。
一般的な急須は重量およそ250~300グラム。銀の地金相場はグラムあたり約175~180円とすると、被害金額は43,000~54,000円と考えられます。
ただしこれは令和6年(2024年)の相場であり、当時はモノを調達するにもよりコストがかかったと考えるのが自然でしょう。
平安時代の銀相場は分かりませんが、江戸時代の銀相場は一匁(もんめ。約3.75グラム)あたり約2,100円といいます。
グラムあたり560円となるため、140,000~168,000円以上の被害金額と言えるでしょう。
さすがは道長、そんな代物を日常使い(簡単に盗めるような場所にポンと置く扱いを)していたのですね。
しかし感心している場合ではありません。銀の提を盗んだ犯人は捕まらず、盗品も発見されずじまいでした。