明治新政府の征韓論は「韓国を征服する理論」ではない?西郷隆盛と大久保利通のそれぞれの思惑

歴史 好き太郎

征韓派と内治派

明治時代を学ぶ上で、重要となるキーワードに「征韓論」があります。今回はこの征韓論についての最新の学説をご紹介します。

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一般に、征韓論あるいは征韓論争といえば、士族の不満をそらせるために「征韓すべし」と主張する西郷隆盛や板垣退助の「征韓派」と、それに反対する「内治派」が対立した論同だと思われています。

内治派は、まずは日本国内の近代化が優先事項であり対外進出している場合ではない、という主張です。大久保利通や木戸孝允がこちらに与していました。

問題は、この征韓という言葉です。基本的にこの言葉は「韓国を征服する」つまり植民地化を目指す侵略の論理だと解釈されがちですが、本当にそうなのでしょうか。

結論を先に言えば、この解釈は現在は誤解だと考えられています。この誤解は、「征」と「韓」という言葉の組み合わせにあるのでしょう。文字遣いからいって、韓国を征服する理論と受け取られても仕方ありません。

問題は、西郷隆盛と板垣退助の説いていた「征韓」のニュアンスの違いです。

2ページ目 武力行使は「もってのほか」

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