安倍晴明のライバル?平安時代、陰陽師として活躍した賀茂光栄とは何者か【光る君へ】

NHK大河ドラマ「光る君へ」皆さんも楽しんでいますか?

本作にはやんごとなき貴族たちのほか、市井の庶民や怪しげな連中まで、多様な登場人物が物語を彩っています。

そんな一人として注目されているのが、陰陽師の安倍晴明(あべの せいめい/はるあきら)。

伝承では狐の子とも言われ、人智を超えた力を駆使して様々に活躍しました。

本作において登場する陰陽師は安倍晴明だけですが、当時は他にも陰陽師が活躍していたと言います。

今回は安倍晴明のライバルとも言われた陰陽師・賀茂光栄(かもの みつよし)を紹介。果たして彼は、大河ドラマに登場するでしょうか。

父祖に劣らぬ陰陽師だったが……

賀茂光栄は天慶2年(939年)、陰陽頭(陰陽寮の長官)を務めた賀茂保憲(やすのり)の長男として誕生しました。

母親は不明、兄弟には賀茂光国(みつくに)・賀茂光輔(みつすけ)・女子(実名不詳)がいます。

村上天皇・冷泉天皇・円融天皇・花山天皇・一条天皇と5代の天皇陛下に仕え、暦博士・大炊頭・右京権大夫を歴任しました。

位階は従四位上まで昇り、また備中介や播磨権介などの国司も兼任。大いに財を蓄えたことでしょう。

妻には弓削仲宣女(ゆげの なかのぶのむすめ)を迎え、嫡男の賀茂守道(もりみち)を授かりました。また生母不詳の賀茂義行(よしゆき)も生まれています。

3ページ目 暦道を受け継いだ光栄

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