幕末の動乱期に結婚した徳川15代将軍「徳川慶喜(とくがわよしのぶ)」と「一条美賀子(いちじょうみかこ)」。2人には長らく不仲説が囁かれている。
今回は【前編】に続き、2人の関係についてご紹介する。
前編はこちら
不仲夫婦? 幕末の動乱下、10年の別居婚を経験した徳川慶喜と一条美賀子の夫婦生活【前編】
徳川幕府最後の将軍となった「徳川慶喜(とくがわよしのぶ)」と、正室「一条美賀子(いちじょうみかこ)」の夫婦関係には不仲説が囁かれている。一条美賀子(Wikipediaより)今回は幕末…
新婚生活
美賀子と結婚した慶喜だったが、慶喜は一橋家7代目当主・徳川慶壽の正室であり未亡人となっていた徳信院と非常に仲がよく、2人の間には男女関係の噂があった。1856年には美賀子の自殺未遂の噂が流れるほど、美賀子は2人の関係性に思い悩んだとされる。
1858年。慶喜と美賀子の間には長女が生まれるが、わずか数日で早世している。この時期の美賀子の精神状態は芳しくなく、塞ぎ込むようになった。
10年間の別居
1862年。慶喜は将軍後見職となり京都に拠点を移した。美賀子は江戸に残り別居生活が始まる。別居中の美賀子の生活に関して詳細はわからないが、一橋家の屋敷に暮らしたという。京都時代の慶喜は、生活の面倒を美賀子の実家である今出川家に頼っていた。
別居生活は66年に慶喜が徳川15代将軍となってからも続く。68年。慶喜は将軍職を辞して江戸に帰還するも謹慎生活に入ったため、同居はおろか対面することもできなかった。