「宮仕え」に対する当時の見方
大河ドラマ『光る君へ』で話題沸騰中の紫式部ですが、彼女は夫に先立たれてシングルマザーとなった後、宮仕えを始めています。
彼女のように、宮中に仕える女性を「女房」と呼びました。今回はこの「女房」のことについて解説します。
女房たちは住み込みの部屋(局)を与えられ、身分や出自によって、上臈(じょうろう)・中臈(ちゅうろ)・下臈(げろう)に分かれていたとされています。
上臈は主に二~三位以上の身分でした。四~五位の紫式部や清少納言は中臈の女房となります。
さて、天皇の後宮に仕える女房という仕事は晴れがましい仕事だと思われがちですが、研究者たちは「当時の貴族にとって必ずしも名誉なことではなかった」と指摘しています。
実際、清少納言も『枕草子』で、宮仕えを軽々しいこととする考え方が世間にあったと述べています。
その原因の一つは、とかく女房生活では男女関係が乱れやすい傾向があったからだとされています。
さらに、当時の貴族の女性たちは、家族以外の男性と直接顔を合わせることを直面(ひたおもて)といって嫌っており、タブー視していたと考えられています。
彼女たちは実父や夫、同腹の兄弟たち(母同じである兄や弟)以外に顔を合わせることを極力避けていたのです。
しかし宮仕えに出た以上、訪問者の取次や文書の往還などで、直面することも覚悟しなければなりません。
よって、深窓の女性が人の目線ににわが身をさらす恥辱にも耐えなければならなかったという側面があったと考えられます。