平安時代、貴族男性の正式な服装といえば「束帯」。
朝廷に参内するときに着用しており「日の装束」とも呼ばれていました。この服装をすることを動詞のように「束帯して」とも表現していたほど。
さてこの装束、裾からなが〜く後ろに伸びており、引きずって歩く布が気になったりしませんか?
あれは「下襲(しもがさね)」といって位に寄り長さが決められており、平安時代中以降どんどん長くなっていきます。
これ邪魔じゃないのかなぁ?と思っていたのですが、絵巻物を見ると廊下に座っている男性が庭に向けて垂らしている…。
そう、実は庇の外側に着いた濡れ縁を「すのこ」といいますが、ふだんは通路として使われているものの、束帯姿でここに座る場合は下襲の裾を欄干に垂らすのが常識だったようです。
男性たちはこの下襲の柄や色でセンスを競ったとか。
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百人一首の絵札(読み札)を見ていて、こんな質問がありました。「この男の人が顔の横にくっつけてるこのブラシみたいなものは何?」[caption id="attachment_108871…
男性も顔を隠す?
また『枕草子』で「殿上人が開いている戸の前を通りすぎるときに、冠の「纓(えい)」(冠のうしろに長く垂れるもの)を後ろから前に持ってきて、顔を隠すのがおかしい」という描写があります。
どうやら男性貴族のなかでも、女性たちと同じように、顔を見られるのが恥ずかしいというおくゆかしさを持った人がいたようです。