皆さんは、試験に落ちたことがありますか?
試験に落ちてしまった時は、誰でも大なり小なり悔しいものです。もちろん筆者も経験があります。時には悔しいだけでなく、人生すら左右することもあったでしょう。
それは今も昔も変わりなく、平安時代の人々にとっても、生活に雲泥の差が出たのでした。
今回は試験に落ちた悔しさあまり、暴行事件を起こしてしまった藤原道長のエピソードを紹介。
同姓同名の他人とかではなく、かの「この世をば……」と詠んだあの道長本人です。
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試験結果の改竄を強要
時は永延2年(988年)12月4日、式部少輔(しきぶしょうすけ/しょうゆう)を務めていた橘淑信(たちばなの よしのぶ)が拉致される事件が起こりました。
「そなたら、何をするか!」
「「「いいから黙って来やがれ!」」」
拉致された先は道長の邸宅。さっそく道長が用件を切り出します。
「……そなた、先日の試験でわしが推薦した甘南備永資(かんなびの ながすけ)を落としたな?」
その永資は式部省の採用試験(省試)を受けた(応試した)のですが、残念ながら落第してしまったのでした。
「いかにも。それが何か?」
試験監督を務めた淑信は、毅然として答えます。
もちろん、道長の真意は百も承知です。しかしながら、それで試験をねじ曲げては国家の命運を傾けてしまいかねません。
何せ式部省は官僚の養成機関。私情や利害によって、能力の及ばぬ人物を入れる訳には行かないのです。
「今からでも遅くはない。試験を『きちんと直して』、永資に『正当な結果』を伝えよ!」
これを断れば、どうなるか分かっておろうな……道長は凄みますが、これで怯むような淑信ではありません。
「断る!お気に召さねばいかようにもなされませ。されど天地神明に誓って、能力の及ばぬ者を及第させる訳には参りませぬ!」
「おのれ、吐(ぬ)かしおったな!我らに逆らった者がどうなるのか、思い知らせてくれるわ!」
……と鼻息荒くいきり立った道長。しかし誰かが通報したのか、淑信に対する制裁は未然に防がれたのでした。
「バカもん!何をしておるか!」
止めたのは道長の父・藤原兼家。こんな露骨なことをしては、家名に傷がついてしまいます。
「あのな。試験官を拉致して脅せば、結果を覆せると思ったか?それが世間にバレないとでも?」
「……そこまで考えていませんでした」
「発想を変えよ。永資が式部省に落第したなら、及第した者を取り込むんじゃ。さすれば、少なくとも波風は立つまい」
「はい」
かくして事件はひとまず落着。その後、淑信の身に危険は及ばなかったことでしょう。多分。