平安時代と聞いて、血で血を洗う合戦を連想される方は多くないでしょう。
雅やかな王朝文化が花開き、やんごとなき貴族たちが我が夜の春を謳歌していた……そうイメージされると思います。
しかし平安時代の初期から中期にかけても合戦は起こりました。
地方豪族の叛乱はもちろんのこと、京都や洛中においても、激しい戦闘がしばしば繰り広げられたのです。
そこで今回は藤原道長と藤原隆家の軍勢がぶつかった七条大路の合戦を紹介。時は正暦6年(995年。長徳元年)、7月27日のことでした。
暴発する隆家の従者たちを鎮圧
七月廿七日 辛未 人々云、七条大道有合戦、是則中納言隆家僕従所為云々、……
【意訳】7月27日、辛未(かのとのひつじ)。人々が言うには、七条大路(ひちじょうおおじ)で合戦があったそうな。これすなわち中納言こと藤原隆家の僕従たちが惹き起こしたのだとか……。
※藤原実資『小右記』正暦六年(長徳元年・995年)7月27日条
人数や合戦の規模について詳しいことは伝わっていません。しかし、当時おじ・いとこ同士で対立していた道長と隆家の緊張が暴発したことが見てとれます。
隆家は道長の長兄・藤原道隆の子。兄の藤原伊周(これちか)と共に、劣勢を挽回しようと焦っていました。
この時は隆家の郎党らが暴れ出したところ、道長の命を受けた軍勢が急行。これ幸いとばかり鎮圧に乗り出したのでしょう。