現代でも、政治家や有名人、芸能人のスキャンダルというのは世をにぎわせますよね。もちろん、悪いことをすればそれ相応のものが自身の身に返ってくるのは仕方がありませんが、報道が加熱したり、SNSでの収まりがつかなくなることもあります。
今回の記事では、大正時代のとある心中事件に迫ってみたいと思います。激動の時代の中、ひとつの価値観が変わるきっかけになった……とも言われているその事件、一体どのようなものだったのでしょうか?
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事件の概要
事件の詳しい背景やその後の影響をご紹介する前に、まずは事件の概要を説明します。事件が発生したのは、1917年(大正6年)3月7日、夕方のことでした。走ってくる電車に向かって、男女が飛び込みました。
男性は軽傷、女性は頭部に重傷をおっていました。男性は土手に行き、短刀で自身の首を突き、亡くなりました。女性は伯爵家の娘である芳川鎌子、男性はお抱え運転手の倉持陸助でした。
翌日に新聞が報道!
現代でもニュースの速報性は重視されますが、当時も同じだったようです。事件翌日の3月8日には、東京朝日(東朝)新聞が事件を報じています。
その時点では2人の身分はわかっていませんでしたが、その後すぐに2人の身分や関係性を明らかにしました。他の新聞社も事件を報じ、報道が過熱しました。
「鎌子式」「鎌子コンプレックス」「運転手にご注意」などの流行語も生まれたとか。