いつの時代も、ファッションにこだわる若者は少なくありません。
まだ社会的地位や実力が備わっていないことが多いため、そのぶん外見で自己アピールをしたい心理が表れているのではないでしょうか。
そんな若者たちは戦国時代にもいたようで、時に傾奇者(かぶきもの)と呼ばれた手合いが天下往来を闊歩していました。
彼らが創意工夫した奇抜な服装やヘアスタイルを、徳川家康はどう見ていたのでしょうか。
今回は江戸幕府の公式記録『徳川実紀(東照宮御実紀附録)』より、家康から家臣たちへのコメントを紹介したいと思います。
伏見彦大夫の大太刀
……伏見彦大夫某いつも大太刀さし。奇偉の装して供奉せしを見て。松平甚兵衛信直もおなじ様の装して出立しが。信直は御ちなみある者なれば。 君御覧じて。汝は門地あるものなれば。威儀行装も分に応じて。かるがるしきさますべからず。今日の様は鎗持か馬の口取にひとしくていといやしく見ゆ。大将の儀容にあらず。おのれと卑賤に似するはよからぬ事なりと。おごそかに警しめ給ひけり。……
※『東照宮御実紀附録』巻二十五「旗本之頭髪」
徳川家に仕える旗本の一人に、伏見彦大夫なる者がおりました。この彦大夫、いつも大きな太刀を佩き、奇抜な身なりで人目をひいています。
それを見ていた松平信直(甚兵衛)は、若気の至りで張り合いたくなってしまったのでしょうか。ある日、彦大夫と同じようないでたちで御前に参上したところ、家康は信直を警(いまし)めました。
「甚兵衛よ。そなたは我が一門に連なり、他の軽輩とは格が異なることを忘れるでないぞ。何じゃその身なりは。まるで槍持か馬夫のようじゃ。大将たる者、内外ともに相応の器量を備えてこそ配下も心服するものぞ」
この言葉を聞いて信直は恥じ入り、衣服を相応しいものに戻したということです。