日本の山を代表する富士山。この富士山は、美しい姿をしているだけではなく、長い間、神様の住む山として信仰もされてきました。その神聖性ゆえに、中世にはみだりに入山することすら許されず、旧暦6月1日の山開きから7月20日までの間のみ、富士信仰の道者の登山が許可されていました。
江戸時代には、江戸とその周辺を中心に、富士講という信仰集団が組織され、地域と密着して庶民に浸透していました。
富士講では、富士山頂で日の出を礼拝することを目的に、富士登山が盛んだったが、富士に登拝できない老人や婦女子のためには、富士塚といって、富士山をかたどった塚が、江戸およびその周辺の、神社の境内にいくつも作られ、本物の富士山の代わりとされていました。
Japaaanでも以前、日本で初めて富士登頂した女性についてとりあげました。
富士山の女人結界が解かれる以前に、男装をし女性で最初に富士山に登った「高山たつ」
山梨県と静岡県にまたがる日本一の山・富士山。日本を代表するこの山は、古くから霊峰として人々の信仰を集めてきました。こういった霊峰の多くは、かつては女性が登頂することはできませんでした。…
こうした宗教の聖地である富士山に、外国人の登山など、許されるはずがなかったのですが、1860年(万延元)年9月11日、初代イギリス駐日公使・ラザフォード・オールコックが、はじめて山頂に立ちました。
オールコックは、幕末の日本の外交分野で活躍した人物で、1809年、ロンドン郊外で医師の子として生まれました。