戦国時代に暗殺を実行するのは大抵の場合が「忍者(忍)」とよばれる集団でした。
忍者は、主人に仕えて暗躍することを目的とした組織で、所属するメンバー全員が人を殺す訓練を仕込まれた暗殺のプロフェッショナルです。
そんな忍者と同様に優れた暗殺能力を駆使して戦国時代を駆け抜けた武将がいました。それは、漆黒の城と名高い岡山城の基礎を築いた宇喜多直家(うきた なおいえ)です。
身内殺しの策略家。戦国三大悪人の一人「宇喜多直家」の悪しき所業【前編】
今回は、そんな宇喜多直家について紹介します。
暗殺のプロ?それとも武将?
宇喜多直家は、残酷で荒々しい強者を意味する「戦国三大梟雄」に匹敵する人物として有名です。その名に相応しく、肉親の情けなど関係なく裏切り者や敵対する人物には卑劣な手段を用いてまで成敗したといます。
そして、正攻法で勝てないと判断した場合には、ターゲットに刺客を仕向けて暗殺するというのが常套手段でした。基本的に戦国時代では正々堂々と戦うのが「暗黙のルール」でしたが、宇喜多直家にとってこのルールは生き抜くための妨げにしかならなかったのでしょう。
暗殺の才能が開花するとき
宇喜多直家が自身の中に眠る暗殺の才能に気づいたのは、1561年に備前地方の統一を目的とし、備前西部で権力を保持していた龍ノ口城へ侵攻したときのことです。
龍ノ口城を包囲して、有利な状況へと持ち込んだ宇喜多直家でしたが、敵城主・穢所元常は落城を許しませんでした。しばらく膠着状態が続き、埒が明かないことにしびれを切らした宇喜多直家は、穢所元常の暗殺を企てました。これが、宇喜多直家にとって人生初の暗殺となります。
その作戦は「色仕掛け」で、生粋の「男色家」として有名だった穢所元常のもとに、美少年小姓をスパイとして送り込むというものでした。
戦争の最中にやってきた怪しい人物を簡単に信じる武将がいるのかと疑いたくもなりますが、まんまと引っかかり、小姓と一夜を過ごして寝入った隙に首を取られています。
穢所元常は油断しすぎですが、敵の弱点を見抜いて的確に計画を実行した宇喜多直家は、初暗殺ながら才能の片鱗を窺わせる結果をたたきだしました。
その後、宇喜多直家は徐々に暗殺者としての才能を開花させていきます。