NHK大河ドラマ「どうする家康」皆さんも観ていますか?毎週目が離せませんね。さて、第41回放送「逆襲の三成」で、こんな場面がありました。
会津の上杉景勝討伐に際して、大坂城に参集した大名たち。我らが神の君こと徳川家康も、自慢の家臣たちを招集します。
本多忠勝・榊原康政・井伊直政……に引き続き、現れたるは渡辺守綱。
「誰だ、アイツは?」
有名な三将に引き換え、心ない声が漏れ聞こえる場面がありました。
「渡辺守綱様じゃ!」
堂々と名乗りを上げたものの、いかにも引き立て役にするような演出は、ちょっと残念でしたね。
ちなみに、実際の上杉討伐でも渡辺守綱は従軍していました。今回は江戸幕府の公式記録『徳川実紀(東照宮御実紀附録)』より、こんなエピソードを紹介したいと思います。
家康から南蛮甲冑を授かる
……上杉御追討に立せ給はんとて。大坂の西丸にて諸人謁見し奉りしに。渡辺半蔵守綱をめし。南蛮より舶来せし鳩胸の鎧に椎型の冑を賜ひ。汝年比忠勤を盡せしにより。殊更の思召もてこれを賜れば。この鎧着し一しほ若やきて。こたびの御先仕れと有て。附属の足軽五十人まして百人になされ。御供命ぜられしとぞ。(貞享書上。)……
※『東照宮御実紀附録』巻九「南蛮舶来之鎧」
【意訳】上杉討伐への出陣前に、家康が諸大名を集めた時のこと。
家康は渡辺半蔵守綱を召し出し、南蛮渡来の西洋式甲冑(鳩胸の鎧、椎型の兜)を与えました。
「そなたは永年、忠義を尽くして来たゆえ、これを授けよう」
守綱は大いに喜び、さっそく身につけてみると随分と若やいだ様子です。
「此度の戦さは、そなたが先陣を務めよ」
ということで、配下の兵を普段の五十騎から百騎に増やし、会津へと出立したのでした。