ガソリンから弾薬へ
【前編】では、戦前の沖縄県営鉄道で起きた、日本史上最悪の鉄道爆発事故の経緯を見てきました。
「沖縄県営鉄道」を知っていますか?史上最悪の鉄道事故は旧日本軍のミスで起きていた【前編】
さて、220人もの死者を出したこの事故の原因は、ガソリンへの引火でした。
列車の機関車のすぐ後ろの無蓋車(屋根の無い車両)に、ドラム缶入りのガソリンが積まれていたのです。それに、機関車の煙突から排出された火の粉が飛んで引火したのが直接の原因だといわれています。
これについては、爆発直前に列車から飛び降りて難を逃れた女学生も、前方の車両で大きな火の手が上がるのを目撃しているそうです。
もちろんガソリンに引火しただけなら、まだ火災だけで済んだかも知れません。しかし当時の沖縄県営鉄道は軍事輸送列車として使われていため、戦闘用の弾薬なども大量に積載していました。
それら全てに引火したことで、次々に誘爆を起こして多くの犠牲者を出す結果となったのです。
住民も被害をこうむる
さらに、被害が拡大したのは他にも理由がありました。当時は、鉄道の線路脇周辺のサトウキビ畑に軍の弾薬が数百トンも野積みされていたのです。
鉄道で発生した爆発と火災はそれらにも引火したため周囲は火の海となり、あげく一部家屋に延焼しました。
このような状態だったので爆発は一度だけで終わらず何度も発生し、爆発音は一晩中響いていたといいます。付近の村人も壕などに避難しました。
また、列車には多くの貴重な医療品も積み込まれていましたが、これらも爆散。付近のガジュマルなどの木々には、吹き飛ばされた包帯や犠牲者の身体の一部などが引っかかっていたといいます。