知ってる?瀬名と家康に仕えた超マイナー武士・竹尾元成とその一族【どうする家康】

NHK大河ドラマ「どうする家康」皆さんも楽しんでいますか?

筆者も毎週、徳川家康(演:松本潤)はじめ登場人物たちの成長を楽しみに見守る日々です。

さて、徳川家臣団には劇中に名前が出てくる比較的有名な武将だけでなく、あまり知られていないマイナーな武士たちも多くいました。

むしろそちらの方が圧倒的大多数で、そういう人たちの魅力を発掘・発信したいものです。

というわけで、今回は瀬名(演:有村架純。築山殿)に仕えたマイナー武士・竹尾元成(たけお もとなり)を紹介。

「ふーん、こんな人もいたんだな」と知っておくと、瀬名を見る時に「どこかに彼もいるんだろうな」と画面に奥行きが感じられるかも知れません。

松平広忠の代から仕える譜代の忠臣

●元成 傳九郎

永禄八年より築山御方に仕ふ。時に八歳 のち東照宮に仕へたてまつり、其のち相模国高座郡の内にをいて采地をたまふ。文禄三年七月二日死す。年三十七。法名西永。高座郡下土棚村に葬る。妻は木村九郎左衛門吉次が女。

※『寛政重脩諸家譜』巻第三百九十一 清和源氏(支流)竹尾

竹尾元成は永禄元年(1558年)生まれ、その通称は傳九郎(でんくろう)と言いました。

竹尾家は清和源氏の末裔とのことで、三河国竹尾(愛知県豊橋市)の地名を苗字に称しています。

徳川家との関係は、元成の父・三郎右衛門(さぶろうゑもん)が家康父・松平広忠(演:飯田基祐)の代から仕える譜代の家柄でした。

そんな傳九郎が8歳となった永禄8年(1565年)、瀬名に仕え始めたと言います。

やがて天正7年(1579年)に瀬名が武田勝頼(演:眞栄田郷敦)との内通容疑(築山殿事件)で処刑されると家康に仕えました。

後に家康が羽柴秀吉(演:ムロツヨシ)の命令で関東へ移転すると、相模国高座郡(神奈川県南部中央)に所領を賜ります。

さぁこれからと言うところですが、文禄3年(1594年)7月2日に世を去りました。

享年37歳。法名は西永(さいえい)、所領の下土棚村(神奈川県藤沢市)に葬られたと言います。

妻は木村九郎左衛門吉次(きむら くろうざゑもんよしつぐ)の娘、家督は彼女が生んだ竹尾清正(きよまさ)に受け継がれたのでした。

4ページ目 家康の親衛隊となった竹尾清正

次のページ

この記事の画像一覧

シェアする

モバイルバージョンを終了