クーデターを防いだ功労者!岡崎クーデター後の山田八蔵のその後【どうする家康】

拾丸

『どうする家康』20話「岡崎クーデター」で登場した山田八蔵重英(やまだ-はちぞう-しげふさ:山田八蔵)。米本学仁さんが演じ、大柄な体格と登場シーンの多さから印象に残った方は多いかと思います。

ただ、マイナーな人物のため、生い立ちやその後について知らない方が多いのではないでしょうか。

そこで今回は、岡崎クーデターで活躍した山田八蔵について紹介します。

三河一向一揆では一揆側で戦った

八蔵は尾張源氏の山田氏の末裔で、永禄6年(1563)に起きた三河一向一揆では一揆側として戦いました。一揆鎮圧後は、松平信康の重臣・鳥居久兵衛の家臣として岡崎城に移りました。

ちなみに、尾張源氏は源経基の第二子・満政を祖とし、満政の六代孫にあたる源重遠が平安時代後期に尾張国春日井郡浦野(愛知県名古屋市北部)に住み着いたことが始まりの一族です。

山田氏・葦敷氏・高田氏・小河氏などの分家を輩出し、山田氏の著名な人物には、「戦いに優れ、器量良し。尚且つ民のことを労われる心優しい性格を持った人物」と称賛された山田重忠がいます。

3ページ目 悲運な最期を迎える八蔵

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