「10年遅かった」?伊達政宗
日本史において、東北というのは影が薄くなりがちですが、戦国時代の奥州では「独眼竜政宗」として有名な伊達政宗(だてまさむね)という覇者が君臨しています。研究者の中には「彼があと10年早く生まれていたら天下が獲れただろう」と考える人もいるほどです。
実際、伊達政宗というのは家柄も実力もずば抜けており、人間的魅力に溢れた武将でした。その彼が勢力を拡大していった経緯と、秀吉に臣従するまでの流れを追っていきましょう。
当時の奥州では、奥羽北部の南部氏や東部の葛西氏と大崎氏、中西部の最上氏や中南部の伊達氏・蘆名氏がしのぎを削っていました。
この中でも、伊達氏は鎌倉時代に土着したといわれる勢力から発展していった家系で、戦国大名としては、戦国時代初期に伊達稙宗が陸奥守護を任されたことがきっかけになってその力を強めていきました。
そして伊達氏は分国法を制定すると、近隣地域の諸将たちと婚姻関係を結んでいきながら、その勢力をさらに強大なものにしていきます。