日本において社会が大きく変わった明治時代。そんな激動の時代にはセンセーショナルな事件も多く発生しました。明治の毒婦といえば、日本最後の斬首刑に科せられた、高橋お伝が有名かもしれません。
明治の毒婦と呼ばれて…死んでもなお人生や遺体を辱められた薄幸の女性「高橋お伝」【前編】
明治時代、男たちを手玉に取ったといわれる稀代の毒婦・高橋お伝。ですが、実際はただ愛しい男に尽くしただけの薄幸な女性でした。たしかに殺人を犯しましたが、それはお伝だけに非があったワケではありま…
しかし、今回の記事で取り上げる「原田きぬ」もとある事件を起こし、梟首(さらし首)に。そして、彼女の事件は「夜嵐おきぬ」という名前でのちに作品にもなっています。
16歳で芸者に、大変な美貌の持ち主だった
きぬが16歳のとき、父と母が相次いで亡くなります。その後は芸者となりますが、持前の大変な美貌で人気に。何人もの歌舞伎役者と関係があったと言われています。その後、通い詰めた小林金平に見初められ、身請けされます。こうしてきぬは、小林の妾となりました。
美しい歌舞伎役者と密会
きぬは、大坂の美しい歌舞伎役者・嵐璃鶴(りかく)と密会します。彼は後世の記述で、すらっと背が高く、やせ型で品位のある風采だった、と言われています。やがて2人は将来を約束しあう仲に。そこで邪魔者となったのが小林金平でした。