もっと子供を、特に男児を、跡取りを……のっけから姑ハラスメントをぶちかます於大の方(演:松嶋菜々子)。
竹千代と亀姫「しか」子供のいない瀬名(演:有村架純。築山殿)に対して「女子(おなご)として終わっている」発言は、男性の筆者でさえいかがなものかと感じます(NHKに抗議などなかったのでしょうか)。
いくら戦国時代だからとは言え、そんなことを露骨に言うのは無神経にもほどがあります。もちろん戦力増強や政略結婚の重要性など、側室を勧める事情は解るとしても、もっと穏当なアプローチはいくらでもあるはずです。
……ともあれ気を取り直して、武骨で不器用だけど真面目で器量よしな“お葉(演:北香那。西郡局)”を迎えたものの、何と彼女は同性愛者(レズビアン)でした。
同僚の美代(演:中村守里)と愛し合っていることを告白されて、松平家康(演:松本潤)は二人の関係を認めることに……めでたしめでたし(側室問題はとりあえず棚上げに)。
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NHK大河ドラマ「どうする家康」第10回放送は「側室をどうする!」……今回の物語はほとんどフィクションとなります。
果たして実際のところはどうだったのか、史料文献を手がかりに今週も振り返っていきましょう。
お葉(西郡局)は本当にレズビアンだったの?
西郡局(にしのこおりのつぼね。別名:時姫)は鵜殿家臣・加藤義広(かとう よしひろ)の娘で、後に鵜殿長忠(うどの なかただ)の養女となります。
劇中で言及された鵜殿長照(演:野間口徹)は伯父に当たり、同じ鵜殿一族の中でも父は家康に降伏。松平家臣として奉公しました。
やがて家康の側室となって出身地から西郡局と呼ばれるようになり、永禄8年(1565年)に督姫(とくひめ。実名は“ふう”富子)を生みます。
天正18年(1590年)に家康が江戸へ移ると西郡局もこれに従い、かつて上ノ郷城攻め(第6回)で焼失した鵜殿家の菩提寺・長応寺を江戸(東京都品川区)に再建させました。
そして慶長11年(1606年)5月14日に伏見城で亡くなります。法名は蓮乗院日浄(れんじょういん にちじょう)、葬儀は督姫の再婚相手(初婚の北条氏直とは離縁)である池田輝政(いけだ てるまさ)が執り行い、現在は兵庫県宍粟市の墓所に眠っています。
なお、西郡局がレズビアンであったという史料・文献については寡聞にして存じ上げません。恐らくは創作でしょう(あるいは最新研究による発見などあったのでしょうか)。
恐らくは昨今流行りのLGBTへの理解や多様性を促進するための創作と思われますが、それならば信玄公の男色(例えば阿部寛がその逞しい腕で、松本潤を強引かつ優しく抱き寄せ……)なども是非解禁していただきたいところ(気持ち悪いなんて言ってはいけません。女性同士が許されるなら、男性同士の恋愛も許されなければ差別です)。
閑話休題……それはさておき大河ドラマでは、その後も表向きは側室として家康を支え続けた、という設定のようですが……さぞ気まずかったことでしょう。