『どうする家康』の7話「わしの家」8話「三河一揆でどうする!」9話「守るべきもの」で登場した、市川右團次さん演じる一向宗をまとめた本證寺の僧侶・空誓(くうせい)。
市川さんが空誓を演じたことで、貫禄がありながらどことなく優しさが溢れ出ていましたね。9話で劇中から退場となりましたが、その後の空誓についてどうなったか気になる方もいるのではないでしょうか?
今回は、三河一向一揆で活躍した空誓の一揆鎮圧後のその後について紹介します。
10代で一向宗の宗徒を率いた
空誓は堅田(現在の滋賀県大津市)にある慈敬寺の4世実誓を父に、天文16年(1545)に生まれます。本願寺中興の祖・蓮如のひ孫にあたるので、出自がいいことがうかがえます。
永禄4年(1561)に本證寺9世である玄海が加賀一向一揆で戦死したことで、本願寺の11世・顕如は空誓を猶子にしました。そして玄海の娘婿となり、17歳で本證寺10世となりました。
三河一向一揆で松平勢と戦う
永禄6年(1563)に、本證寺への守護使不入権を家康の家臣が破ったことで、三河一向一揆が勃発します。空誓も鎧を着用し、一揆勢を率いて松平勢と交戦。
鉄棒を振り回して戦いますが、敗れてしまいました。
そして、永禄4年(1564)に和議が結ばれ、三河一向一揆が収束します。一向宗は家康によって禁制にされ、三河国内にあった一向宗の寺は破壊されてしまいました。
居場所を失った空誓は、賀茂郡菅和田(現在の愛知県豊田市新盛町)に逃れました。菅和田では、岩屋に住んでいたと言われています。