三河一向一揆で徳川家康(演:松本潤さん)と敵対し、一揆鎮圧後は家康の元を去った本多正信(演:松山ケンイチさん)。
彼は元亀元年(1570)又は天正10年(1582)に起きた本能寺の変の前に再び家康の元に戻るのですが、その間は一体何していたのでしょうか?
今回は出奔から再仕官までに、正信が辿った放浪の旅を紹介したいと思います。
一揆鎮圧後は松永久秀の元へ
三河一向一揆では、大河ドラマ『どうする家康』を見ていた方はご存知かと思いますが、一揆勢の軍師として一揆に参加していました。
鎮圧後は、同じく一揆勢だった渡辺守綱や夏目広次は、家康に降伏。その後は家康の家臣として忠誠を尽くしました。
しかし、本多正信だけは家康に降伏せず、妻と子(本多正純)を残して三河国を去り、大和国(現在の奈良県)にいる松永久秀に仕官しました。反対に、正信と共に一揆勢だった弟の本多正重は、一揆鎮圧後に家康の元に戻っています。
ちなみに、妻子は大久保忠世の元に保護されました。
加賀国へ流浪
正信は久秀からは「徳川の侍を見ることは少なくないが、多くは武勇一辺倒の輩。しかしひとり正信は剛にあらず、柔にあらず、卑にあらず、非常の器である」との評価を受けました。
久秀は正信の非凡な才能を見抜いていたことがうかがえます。
しかし、永禄8年(1565)の永禄の変で足利義輝が暗殺されると、久秀の元を去りました。その後は、加賀国(現在の石川県南部)へ渡ったと言われています。
実は織田信長と戦った!?
加賀国で正信は、加賀一向一揆の将の1人として迎えられます。残念ながら、加賀一向一揆では、三河一向一揆同様に軍師として働いたかはわかりません。
しかし、正信は加賀一向一揆と共に織田信長と戦ったと言われています。