「続・瀬名奪還作戦」で瀬名姫や松平信康、亀姫を奪還できた徳川家康でしたが、一難去ってまた一難。
次回の7話「わしの家」から三河一向一揆編へ突入します。三河一向一揆は家康にとって、命の危険にさらされた戦の1つなのはご存じかと思います。しかし、三河一向一揆の発端となった一向宗という宗教については、あまり馴染みがないかもしれません。
そこで、今回は一向一揆にゆかりのある「一向宗」の由来や成り立ちについて解説します。
一向宗は浄土真宗だった!?
意外なことに、一向宗は浄土真宗本願寺派の俗称でした。なぜ、一向宗として呼ばれるようになったのかというと、経典の1つである『仏説無量寿経』が関係していました。『仏説無量寿経』は、浄土真宗の宗祖である親鸞が重んじいた経典であり、浄土真宗の重要経典でもあります。
その経典には「一向専念無量寿仏」の教えの記載があり、親鸞からも「阿弥陀仏一仏に向け」との教えが残っていました。
この2つの教えにより、世間からは「あの宗教は一向宗だ」と、勝手に呼ばれるようになりました。
鎌倉時代から一向宗と呼ばれる宗教があった
そして、一向宗と呼ばれる宗教はもう1つありました。それは鎌倉時代の僧侶・一向俊聖(いっこう-しゅんしょう)が宗祖となった一向宗です。
一向俊聖の一向宗は、浄土宗の宗派の宗教。そのため、宗教的価値観が同じな一向宗を浄土真宗本願寺派に取り込んだ際、一向宗の教徒は浄土真宗本願寺派を一向宗として呼ぶようになりました。