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夏目広次 なつめ・ひろつぐ
[甲本雅裕 こうもとまさひろ]武骨な武将が多い家臣団の中で、家康を実務面で支える事務方の男。いつも目立たず、家康からは名前をなかなか覚えてもらえないが、武田家との大決戦・三方ヶ原の戦いでは大きな使命を果たす。夏目漱石の先祖ともいわれる。
※NHK大河ドラマ「どうする家康」公式サイトより
第1回放送「どうする桶狭間」からずっと登場しているものの、その存在感は今一つな夏目広次(演:甲本雅裕)。
でも、その生涯をたどってみると目立たないどころか数々の武勲、そしてここ一番で主君の命を救う大手柄を立てているのです。
その大手柄の機会こそ三方ヶ原の決戦だったのですが、今回は江戸幕府の公式記録『徳川実紀(東照宮御実紀)』より、夏目広次の果たした「大きな使命」を紹介。大河ドラマの予習になることでしょう。
命を救っていただいた御恩に、今こそ報いん
……十二月廿二日三方が原のたゝかひ御味方利を失ひ。御うちの軍勢名ある者共あまた討れぬ。入道勝にのり諸手をはげましておそひ奉れば。夏目次郎左衛門吉信が討死するそのひまに。からうじて浜松に帰りいらせ給ふ……
※『東照宮御実紀』巻二「三方原戦(大戦之二)」より
【意訳】時は元亀3年(1572年)12月22日。三方ヶ原の戦いで武田信玄(演:阿部寛)に敗れた徳川家康(演:松本潤)は多くの家臣を失ってしまう。追撃する武田軍を食い止めるため、夏目広次(ここでは次郎左衛門吉信)が討死。時間を稼いでくれたので、家康は命からがら浜松城へ逃げ帰ることが出来た。
要は「三方ヶ原で武田に敗れた際、家康の逃げる時間を稼いで討死した」ということですが、ただそれだけではなかったのです。
……夏目永禄のむかしは一向門徒に組し、御敵して生取となりしが。松平主殿助伊忠此もの終に御用に立べき者なりと申上しに。其命たすけられしのみならず。其上に常々御懇にめしつかはれしかば。是日御恩にむくひんとて 君敵中に引かへしたまふをみて。手に持たる鑓の柄をもて御馬の尻をたゝき立て。御馬を浜松の方へをしむけ。その身は敵中にむかひ討死せしとぞ……
※『東照宮御実紀』巻二「三方原戦(大戦之二)」より
【意訳】夏目広次は永禄のころ、三河一向一揆(永禄6・1563年~同7・1564年)において一揆勢へ寝返り、生け捕りにされた。松平伊忠(まつだいら これただ。主殿助)は「この者はいつかきっとお役に立つから」と助命を嘆願。