戦国時代「三大奇襲作戦」のひとつ河越夜戦!北条氏康の逆転劇とその後の伝説【前編】

戦国時代「三大奇襲作戦」とは

戦国時代の「三大奇襲作戦」と呼ばれている戦闘があります。このうち二つは有名な桶狭間の戦いと毛利元就による厳島の戦いですが、三つめが北条氏康による河越夜戦(かわごえよいくさ/やせん)です。

しかしこの河越夜戦は一般にはあまり知られておらず、よほどの歴史好きでないと名称も聞いたことがないでしょう。一体これはどんな戦いだったのか、後世まで伝わっているその内容を紐解きます。

北条早雲が亡くなった後、その跡を継いだのが北条氏綱で、彼はもともとは伊勢氏綱という名前でした。そこで彼は1523年に伊勢から北条へと改称します。

改称のはっきりした理由は不明ですが、関東圏を支配する上で、旧鎌倉幕府の執権職である北条姓の方が武士たちを従えやすかったからではないかと言われています。

さらに彼は領地を拡大して房総半島まで勢力を伸ばし、関東支配を進めていきます。そうした中、1541年に氏綱が没してから、さらにその跡を継いだのが当時27歳で三代目にあたる北条氏康でした。

2ページ目 北条氏康最大のピンチ

次のページ

この記事の画像一覧

シェアする

モバイルバージョンを終了