日本の首都であり、世界的にも有名な「東京」。ビジネスや文化の中心地として栄えています。では、みなさんは、なぜ「江戸」から「東京」という名前になったのかご存じですか?歴史を紐解いてみると、そのほかの候補地などもあったことがわかりました。
「江戸」が「東京」になったのは明治維新がきっかけ
「東京」という名前自体は新しく、明治維新がきっかけで生まれました。それまで日本の中心地は「江戸」と呼ばれ、幕府が置かれていました。1868年(慶応4年)に、7月17日に天皇の詔書により
「江戸は東日本で一番の都市であり、四方から物が集まる地である。自らがその政治をみるべきであり、以後江戸を東京と呼ぶこととする」
と宣言され、江戸が東京となりました。
首都は簡単には決まらず!?
江戸幕府があった場所なのだから、そのままそこを首都にすれば良い、と簡単に「東京」決定したわけではありませんでした。明治政府内には、大坂(今の大阪)を首都にすべきではないかという意見もありました。
ちなみに、この大坂遷都論を提言したのは、あの有名な大久保利通です。
大阪都構想は幕末から?維新の元勲・大久保利通が計画していた幻の「大阪遷都」
かつて(今でも?)大阪都構想などというスローガンが世間を賑わしたことがありましたが、そんな議論が幕末にもあったようです。千年以上の歴史を誇る京都から大阪への遷都を提唱したのは、維新三傑の一人と…
しかし、公卿らの保守派の激しい反対にあいます。そして、前島密による「江戸遷都論」という建白書が大久保に届けられます。その後、大久保も江戸を東京とすることが良い、と賛成していきます。